木枯し紋次郎
先日ケーブルテレビで放送されていた「木枯し紋次郎」を観た。テレビ版ではなく映画版。正式なタイトルは「帰
ってきた木枯し紋次郎」。主役(中村敦夫)も主題歌も昔のままですごく懐かしかった。「木枯し紋次郎」と聞いて
懐かしさを感じるのは、いくつより上の世代だろう。テレビ版の最初の放送が1972年だから、40代半ばより上
の世代だろうか。
放送当時、70年安保の熱気が冷め、世の中には、特に若者には挫折感が広がっていた。そんな中に登場し
たのがこの「紋次郎」だった。勧善懲悪のヒーローではなく、アウトローの渡世人。虚無と孤独感を漂わせながら
つぶやく、「あっしには関わりのねえことでござんす」というセリフは流行語となった。
楊枝をくわえ、風に吹かれながら荒野を去っていく紋次郎を見ていたら、また若い頃のように一人で旅がしたく
なってきた。目的もなく、気の向くままに見知らぬ町を過ぎていく。そんな旅をしたら、昔のように詩も湧いてくる
かもしれない…(甘いか)。
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仕事始め
年が明けてからずっとテレビを見たり(主にDVDに録りだめた映画鑑賞)、本を読んだりと、だらだらした生活
を続けていましたが、そろそろ仕事を始めなければならなくなってきました。来週は大学の最後の講義(その後
はまた長い春休み)。今月末締切の原稿(詩)が2つ。それにガーネット次号の締切も今月末。ゆるんだ頭を仕
事モードに切り換えるところからまずは始めなければ…。
「自作への付曲一覧」の欄に、作曲家・横山潤子さんの作品を加えました。合唱コンクールのために作曲され
たもので、歌いやすい、とてもいい曲だと思いました。
京都新聞・新刊詩集評(1月13日付)で取り上げた詩集は次の4冊。
安川奈緒『MELOPHOBIA』(思潮社)、中堂けいこ『枇杷狩り』(土曜美術社出版販売)、中岡淳一『宙家族』
(書肆青樹社)、山本幸子『テルマ』(湯川書房)。
今回の中で、安川さんの詩集には特に目を見はるものがありました。
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七草粥と書き初め
朝起きたらすごい雪。風も強くて、吹雪状態でした。去年の豪雪ほどではないけれど、3cmほど積もっていまし
た。庭の雪を見ながら今朝は七草粥。元旦からずっとお雑煮とお節だったので、もたれていた胃も少しはスッキ
リとしたような…。
昼からは雪の中をホッピーの散歩に行きました。もう雪もやんでいて、道路に積もった雪はほとんど解けてい
ました。雪景色の写真を撮ろうとデジカメを持って出たら、途中でホッピーの恋人(?)ゲンタに会ったので、ふた
り一緒のところをパチリ。ゲンタはホッピーと同い年(3歳)のかわいい男の子です。
家に帰ってから書き初めをしました。12年前に通信教育の書道セットを買ったのを昨夜急に思い出し、今日
の七草粥にあわせてすることにしました。買ったまままったく使わずにいたので、ちゃんと使えるかどうか不安で
したが、何とか使えました。
書道なんて小学校の時以来。お手本を見て、2時間ほど悪戦苦闘の末、やっと1枚書き上げました。とても人
様にお見せできるようなものではありませんが、お正月ですし、見て、大いに笑ってください。笑う門には福来た
る(何のこっちゃ)。
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謹賀新年
あけましておめでとうございます。皆様方にはよい新年を迎えられたことと思います。
こちらも例年通り、お節を食べてお酒を飲んで、テレビを見ながらゴロゴロしつつ、といった穏やかな新年を迎
えることができました。元旦は実家で過ごし、今日は初詣に行って来ま した。
ホッピーも一緒なので参拝客の多いところは避けて、近くの塩田八幡宮(三田市)という神社へ行って来まし
た。去年行ったら、犬連れの参拝客が結構いたので、今年はホッピーも一緒に本殿まで行って参拝してきまし
た。ホッピーは何をお祈りしたのだろう? 僕はごく簡単に、「今年はいい年でありますように…」とお祈りしてき
ました。
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塩田八幡宮。本殿に並ぶ人たち。 |
狛犬とホッピー |
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大晦日
今日は年内最後の買い物。大きなショッピングセンターへ行き、さっさと買い物を済ませる予定だったのに、お
目当てのものがなかなか見つからず、広い店内を2時間近くも歩き回り、へとへとになってしまった。それでも帰
りには、毎年恒例の温泉につかり、体も心もほっこり。1年の疲れもとれたようでした。
今年は期待外れのことが多く、ちょっとガッカリするような1年でした。皆様にはどんな1年だったでしょうか。来
年は明るい話題の多い1年になりますように。
よい年をお迎えください。
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迎春準備
朝起きたら庭がうっすらと白くなっていた。初雪。去年より10日ほど遅い。去年の初雪はかなりの積雪だった
けど、今年は本当にほんのうっすら。でも風が強くて、外はすごく寒い。
雪の舞う中を、迎春準備のための買い物に出かける。まずはジャンボ市という、三田(さんだ)牛の肉製品を
卸しているお店へ。お目当てはハムの詰め合わせ。年末ともなると、かなりの格安で売っている。ただ週に1度
しか営業しない店なので(年末だけは連続3日間)、午後1時の開店前にはもう長蛇の列。ここは妻に任せ、僕
はホッピーを散歩に連れて行く。ホッピーは僕を引っ張って走っていくけれど、こちらはまだ風邪が完全に治りき
っていないのでちょっとつらい。鼻をグズグズ言わせながらついていく。店に戻った頃には、ちょうど妻も買い物
を終わっていて、疲れたと言いながらも、ハムを詰めた袋をいっぱい抱えながらうれしそうだった。ハムの後は、
別のスーパーへ行って、ミカンや鏡餅を買って帰ってきた。
年内締切の原稿をまだ書けないでいる。本当はもっと早く仕上げるつもりだったのに、2週間前にひいた風邪
が長引いて、何もする気が起こらず、ついに今日まで来てしまった。でも、もう頭の働きもほぼ回復。残り2日間
で何とか書き上げるつもり。そうしないとお正月に美味しいお酒が飲めないしね(と自分に言い聞かせつつ…)。
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クリスマスの手紙
昨日は少し早めのクリスマス。普段の年なら、24日に映画を観て、帰りに鶏の丸焼きを買ってきて食べる、と
言うのがいつものパターンだけれど、今年は24日が日曜日で、映画館がいっぱいになるかと思って少し早めに
決行。
観た映画は「硫黄島からの手紙」。アカデミー賞最有力候補との前評判が高いから期待して行ったけれど、観
終わった感想は、今ひとつ盛り上がりに欠けるかな、といったところ。その理由を後で考えてみると、タイトルの
「手紙」がうまく活かされていないからではないか思われた。手紙の扱いが断片的で、これがもしドラマの流れと
もっと密接に関わっていれば感動的な作品になったのではないかと思われた。
しかし、それでも、戦争の悲惨さがとてもよく描かれていて、映画の出来としては良い方だったと思う。クリント・
イーストウッド(監督)はやっぱりうまい!
我が家の周りでは、12月になるとクリスマスのイルミネーションをしている家が多い。毎年、楽しみに見せても
らっている。
クリスマスには、日頃宗教心のない人々にも何か奇跡が起こりそうな夢を与えてくれる。
アメリカのある女の子がラジオのディスクジョッキーに宛てた手紙。
「サンタクロースって本当にいるんですか?」
その心のままでみんなが大人になれば、戦争なんて起きないと思うのだけれど…。
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邦楽コンサート
昨日大阪市内で催された邦楽のコンサートに行って来た。東京での飲み仲間で、邦楽の作曲家である角篤紀
(すみ・あつき)さんの曲が演奏されるとのことで、本人に会えるのも楽しみにして会場まで足を運んだ。邦楽の
コンサートなんて初めての体験。ワクワクドキドキしながら開演を待つ。
尺八が主体の演奏会で、曲によって琴(箏や十七絃)や三味線が加わる。曲はほとんどが現代音楽的なもの
で、邦楽に抱いていたイメージが見事に覆された。尺八の音色も、こんなに奥が深いものかと驚かされた。新た
な発見と感動を与えられた二時間だった。
終わってから買い物のためデパートに行くと、すごい人込み。先ほどまでの静寂が一瞬にして吹き飛ばされて
しまった。師走だなあ、と世間の慌ただしさを実感。
数日前から少し風邪気味。妻の方は最悪の状態を脱して快復間近。風邪は人にうつすと治るとよく言われる
が、まんざら迷信でもなさそうな…。
年内の仕事は大学のスクーリングが一つと書評の締切が一つ。世間の慌ただしさが嘘のような、ゆったりとし
た年末を過ごしています。
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年賀状
ここ2日間ほどかけて年賀状を書き終えた。全部で250枚ほど。毎年のことながら、こんなに多く出す必要が
あるのかと思ってしまう。ほとんど付き合いのない人や、顔も知らない親類縁者もいる。名簿を見ながら、少しで
も減らそうと削っていくのだが、なかなか踏ん切りのつかない人たちもいる。出すのをやめたら、それで完全に縁
が切れてしまいそうで、結局残したりもする。
年賀状は虚礼だと言ってまったく出さない人もいる。その気持は理解できるが、こちらは心情的になかなかそ
こまでは踏み切れない。やっぱりお正月に年賀状を見るのは楽しい。年に一度、何年も会っていない人からの
年賀状で、その人の近況が分かったりする。もらうのがうれしいから、こちらも出す。年に一度ぐらい、こういう
「虚礼」のやりとりがあってもいいのではなかろうか?
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三丁目の夕日
妻が風邪でダウンした。それで7日(木)に予定していた親鸞賞(受賞者は作家の高村薫さん)の祝賀パーティ
ー出席を断念。急に予定が空いたので、妻が寝込んでからたまっていた台所の洗い物をしたりした。このことを
祝賀パーティーに一緒に行く予定だった詩人のYさんに話すと、「そんなん当たり前やわ」と言われてしまった。そ
うやなあ、その程度のことをするのは当たり前の時代なんやなあ…。
僕の父の世代までは「当たり前」ではなかったように思う。父は神経質で、しょっちゅう掃除機を持って部屋を
掃除していたけれど、台所で洗い物をしている姿を見た記憶はない。「男子厨房に入らず」の戒めがこの時代に
はまだ生きていたのだろう。そして女性の側にもそれを嫌う意識がまだ色濃く残っていたのだろう。
先日、遅ればせながら、去年話題になった映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た。ここには僕が子供の頃
の父親たちがいた。家のことは何もせず、横暴で自分勝手だけれど、家族を守るために必死にがんばっている
親父たちがいた。みんな貧乏で、今ほど自由で便利な時代ではなかったけれど、それなりに幸福な時代だった
と思う。
初めて我が家にテレビが来た日、野球中継をやっていたことを今でもはっきりと覚えている。野球にではなく、
目の前の小さな箱に野球が映っていることに感動して、じっと画面を見つめていたことを覚えている。
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