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日々のあれこれ

日々のさまざまな思いや出来事を、つれづれなるままに綴っていきます。

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2003年6月15日 日曜日

 今日の午後、ガーネット祭の会場となる神戸の布引ハーブ園へ打ち合わせと下見を兼ねて行ってき た。 同人の神尾夫妻も同行。時折小雨の混じる天気ではあったけれど、来園者は結構多く、ハーブの人 気の 高さを改めて知らされた。
 ハーブ園まで行くロープウェイの乗り場で神尾夫妻を待っている時、外人の7、8人ほどのグループが や ってきた。乗り場が分からないらしくキョロキョロしている。実際の乗り場はそこからエレベーターに乗っ て4 階まで行かなくてはならず、日本人でも初めての人はとまどってしまう。そのグループの一人が近くに いた 僕に声を掛けてきた。「乗り場ハコッチデスカ?」「Yes,this way」。「何階デスカ?」「Four」。「ヨン?」 [Yes」 …。これではどっちが外人か分からない。日本語で話しかけられているのにどうして英語で反応し てしまう のだろう。外人と接する機会の乏しかった世代の習性だろうか。情けない。彼らはバングラディッ シュから 来た青年たちだった。「(国名を)知ッテマスカ?」と聞かれ、うなずくと、とてもうれしそうな表情に なった。こ ちらも何だかうれしくなった。
 話が横道にそれてしまったが、ガーネット祭、今日でほぼ企画がまとまった。今月中には詳細をお知ら せ できると思います。9月13日(土)、ぜひご参加ください。


2003年6月8日 日曜日

 先日、久しぶりに人間ドックに行った。勤めている時は毎年行っていたのだが、勤めを辞めた去年は忙 し さにまぎれて行けず、2年ぶりの受検となった。引っ越したこともあり、それまでとは違う地元の総合病 院を 探して行った。それまで行っていた病院は公営的な病院で、朝、受付に行くと、検査書類の入ったバ ッグを 渡され、それを持って自分で各検査室を順に回っていくのだが、今回行った民間の総合病院で は、別室の 応接間のような所に通され、検査内容を説明してもらった後、担当の女性が各検査室まで案 内してくれる。 これには少し驚いた。お役所と民間ではこれだけの差があるんだな、と思ったものだった (費用もそれほど 変わらない)。
 午前中で一通りの検査が終わり、その後医師からとりあえず結果の出た分の説明を受ける。2年ぶり で、しかも勤めを辞めて暮らしぶりもかなり変化していたので、少々心配していたが、それほど大きな指 摘 はされず、ひとまずは安心した。ただ、「脂肪肝」という指摘を受けた。これはカロリーを摂り過ぎるとな るも のだが、「あなたの場合太っていないので、たぶんお酒の飲み過ぎでしょう、控えた方がいいですね」 と言 われた。
 その医師の説明の後、昼食が出た。これにも驚いた。今まで昼食なんか出たことがない。今回は予め 説 明書に出ることが書いてあったので知っていたが、どうせよくある病院食だろうと思っていたら、これが かな り豪華なお弁当で驚いた。担当の女性が給仕をしてくれ、最後にはデザートのフルーツまで出る。病 院で はなく、どこかのレストランにでもいるような雰囲気だった。
 おいしいそのお弁当をほおばりながら、ふっと、脂肪肝の人間がこんなに食べていいんだろうかと思っ た りした。その日、僕の肝臓は検査前より少し脂肪が付いたかもしれない。


2003年6月2日 月曜日

 5月末締切の原稿も何とか書き終え、ほっと一息。これからの1ヶ月間は、ほとんどガーネットの次号 (4 0号)の編集に取り組むことになりそう。これと並行して、ガーネット祭の企画もそろそろ固めなければ なら ない。今いろいろと楽しめる案を練っています。来週には会場となる「布引ハーブ園」の下見に行く予 定。ゴ ンドラに乗って山の上にある園に行くのですが、眺めもよく、とてもきれいなところです。たくさんの 人に参加 してもらえればと思っています。
 情報欄にいくつかの情報を加えました。ご覧頂ければ幸いです。


2003年5月27日 火曜日

 今日も本を1冊紹介します。「金田泰雄写真集−視線・残像 父が見てい
た安らぎ」(ビレッジプレス刊)。副題が示しているように、泰雄氏の息子さん
である金田牧雄氏が、お父さんの遺された写真を1冊の本にまとめられた
もの。泰雄氏はプロの写真家ではなく、保険会社に勤めながら趣味で写真
を撮られていたとのこと。昭和20年代の後半から30年代前半と思われる
写真が収められていて、その時代に子供時代を過ごした僕などは、小さい
頃のことがとてもなつかしく思い起こされてくる。ただ、単に郷愁を誘うだけ
でなく、対象を見つめる泰雄氏の優しさや温もりが感じられて、それがこの
写真集の魅力となっている。巻末には手紙やエッセイも収められていて、そ
れを読むと、優しさと同時に反骨心も内に秘めた人であったと思われた。


   「直線・曲線 2」
 


2003年5月26日 月曜日

 須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」というエッセイ集を読んだ。3年ほど前に詩人のFさんから頂いたも の で、忙しくて読めないままだったが、ようやく読み終えた。「イタリアで暮らした13年間の遠い日々を追 想 し、人、町、文学とのふれあいをつづる初のエッセイ」(帯より)。
 作者の事物を捉える目の深さと共に、文章に品の良さが感じられた。13年間のイタリア暮らしの中で 出 会ったさまざまな人との交流、中でも、傷つきながら遠い霧の彼方へと消えていった友人たちへの哀 惜を 綴った文章が胸に沁みる。
 僕がイタリアへ行ったのはもう8年ほど前だが、読んでいたら、ミラノの大聖堂で行われていたミサや、 バ チカン美術館の壮大な展示などが思い起こされてきて、またもう一度イタリアへ行きたくなってきた。


2003年5月23日 金曜日

 今朝はすごい雨だった。うっすらと晴れていた空がにわかにかき曇り、突然の雷雨となった。自分の部 屋 で出かける準備をしていたら、激しい雷が落ちた。その途端、電話機の留守録に吹き込んだ自分の声 が 流れだし、驚いた。停電が復活した時などにこんなふうになることがあるが、雷で留守電が動くのは初 めて の経験だった。窓を打つ雨の激しい音と共に、何だか昔あった「ポルターガイスト」というホラー映画 のこと を思い出した。「怪奇の館」ってこんなんやろか、と思ったりした。
 車に乗って走っているうちに、雨はますます激しくなってきた。何かカンカンと響くような音がする。何だ ろ うと思って見ると、車に当たっているのは雨ではなく雹だった。フロントガラスや道路に白い粒が飛びは ね ている。こんな時期に雹が降るとは、と驚きつつも、何か自然の猛威の中を突き進んでいくパニック映 画の 主人公のようでもあって、興奮し、おもしろかった。
 30分ほどして家に戻ってくると、雨はほとんど止んでいた。激しい雨だったなあと思いつつ、自分の部 屋 にはいると、ステレオのスイッチが入り、液晶画面が色を変えながら光っていた。ぼくのいない間にも、 この 部屋では怪奇現象が続いていたのであった。ああ、怖い…。


2003年5月19日 月曜日

  この1週間ほど詩作に没頭していた。今月末締切の原稿を4つほど抱え、それなのに少しもできずにイ ラ イラしていたが、何とか一篇書き上げることができ、ほっとしている。それにしても最初に取りかかって から 出来上がるまでに3週間もかかってしまった。これでは商売として成り立たないのは当然である。後 の3つ も、それなりに並行して書いていたので、何とかなるだろう(と思う…)。
 このホームページに載せている反戦詩「戦争」が好評でうれしい。2つの雑誌から掲載依頼があり、ま た、詩とは関わりのない一般の人からも感想が寄せられたりしている。もしホームページに載せていなけ れば、政府に提出する詩の束の一篇として、日の目を見ることもなかっただろう(小泉首相が読むわけも な いし…)。そう思うと、インターネットの力を改めて思う。そして、広く読まれることの責任を自覚して書い てい かなければと思う。


2003年5月13日 火曜日

 反戦詩のページに英訳を載せた。郡山直さんがうまく訳してくださった。
 今回の訳のこととは別に、ぼくは基本的に詩の外国語への完璧な翻訳は不可能だと思っている。原作 の 魅力が100%だとしたら、そのうちの60%も伝えられたらいい方だろう。詩の意味は伝えられるかも しれ ないが、詩の魅力は意味以外の部分に負うところが大きいからである。言葉にはそれぞれの国の歴 史や 伝統や生活様式といったものがしみついている。簡単な話、「僕」も「ぼく」も「俺」も「わたし」も「あた い」も みんな英語では、「 I 」という1字になってしまう。また、例えば、「…するんだ」というのと「…するんだ よ」と いうのでは、「よ」1字でニュアンスが微妙に違ってくる。こうした微妙なニュアンスを外国語にうまく 置き換え られるのかどうか…。
 ランボーの詩をみんながいいというけれど、僕にはそれほどいいとは思えない。ランボーの詩にはきっ と 上に挙げたような言葉の微妙な魅力があるのではないかと思っている。
 今回の拙作「戦争」では、黒板に「愛」や「夢」といった文字を書くというのは、日本人なら誰でも漢字の 書 き取りだと了解するだろう。そしてその漢字の難易から、その子供のおおよその年令も察しがつく。英 語の 世界でも黒板に書き取りをさせる授業があるのかどうか知らないが、あったとしたら、「愛」と「love」 では推 測する子供の年令にずれがあるのではなかろうか。そんなことはまあ、今回の詩では末端のこと ではある のだが。
 今回の詩では、「愛」や「夢」といった単なる漢字が別の意味を帯びていくという構成で書いたのだが、 英 語圏の人にそれがうまく伝わるかどうか…。


2003年5月10日 土曜日

 昨夜、変な夢を見た。青春ドラマのような夢だった。若い女の子(高校生くらい?)が何だか荒れてい る。 小石を手に、「そんなもの壊してやる」と言っている。僕の後ろには大きなガラスの板(扉?)があり、 僕は 必死で止める。「やめろ!」「どいてよ、どかないんなら投げるわよ!」「どうしても投げると言うんな ら、仕方 がない、僕がその石を全部受け止めてやる」そう言うと、彼女は小石を拾い、次々と投げてくる。 僕は次々 とそれを受け止める。手から血が滲みだしてくる。それを見て、彼女は投げるのを止める。ハア ハアと荒い 息を吐きながら互いに見つめ合う二人…。というような夢。その後、頭の毛が薄くなり、かなり 上の方まで はげ上がっていて、「どうしようと」と思っている夢も見た。
 朝、そんな夢を見た、と妻に話すと、「若い頃に戻って、もう一度女の子にちやほやされたいという願望 ち ゃう?」と一蹴された。そうなんだろうか…。鏡を見ると、髪の毛は元通りにあって、何はともあれ良か った な、と思った今朝でした。


2003年5月4日 日曜日

 3連休の中日(といっても僕は年中連休のようなものだが)。今日も晴天。ハイキングに出かける。自宅 のある高原からハイキング道にはいり、1時間半ほど歩くと鎌倉峡という景勝地に着く。鎌倉という名が 付 いていても神奈川県の鎌倉ではなく、神戸市北区にある渓谷。この名の由来として、「鎌倉谷の名は、 かも しか谷がなまったもの」と現地の看板に書かれてあったが、「かもしか」を「かまくら」となまるかなあ、 ちょっ と無理があるなあ、と思う。それはともかく、ここの見所は、落差60メートルあるという巨岩の「百丈 岩」。下 から見上げると垂直に切り立っていて圧巻。ロッククライミングの練習場としても有名だとか。こ れを20分 ほどかけて上までのぼる(もちろんロッククライミングでではなく、迂回路を通って)。上までの ぼって、岩の 上に立つと、遠くの山並みや平野が見えて最高の見晴らし。昔の詩人ならここで詩の一つ や二つ浮かぶ のだろうが、僕にはまるで浮かばない。これはあながちこちらの詩才のとぼしさのせいだ けではなく、きれ いなこと、美しいことが詩になりにくい時代になったのだろう。遠い景色を見ながらビー ルを飲んで、帰る。 下におりたら詩もおりてくる(…といいんだけれど。締切に追われつつ思う)。




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