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日々のあれこれ

日々のさまざまな思いや出来事を、つれづれなるままに綴っていきます。

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2004年7月27日 火曜日

千原兄弟
 映画が好きでよく観る。といっても、映画館に足を運ぶのは年に数回で、もっぱらレンタルビデオでの鑑 賞である。この1ヶ月ほどで観たものを列挙すると、「タクシー 2」「8mile」「キル・ビル 1」「プライベート・ ライアン」「マイ・ラブリー・フィアンセ」(ジャン・レノ)「座頭市」(北野武)「フリーダ」「オデッセイ セカンド・レ ボリューション」「ラスト・サムライ」の9本。このうち満足度80点以上は、「プライベート・ライアン」「座頭市」 「フリーダ」の3本くらいだろうか。期待を大きく裏切られたのは「8mile」。エミネムの歌(ラップ)を期待して いたのだが、少しも良くなかった。この程度のラップで何であんなに評判になるの?という感じ。
 映画以外では、イッセイ尾形のライブと千原兄弟のライブビデオを観た。イッセイ尾形の方は少々期待 はずれだったが、初めて観た千原兄弟は満足度100%の傑作だった。
  2003年10月、3年半ぶりに東京と大阪で行われたライブを収録したもの。ライブのタイトルは、「プロペ ラを止めた、僕の声を聞くために」。元ジャリズムの渡辺鐘がゲスト参加している。長短6つくらいのコント が収められ、どれも傑作だが、中でも「少年と鹿と鉄骨」「ダンボ君」「無情の儀」「お母さん」などはコントの 域を超え、新鮮な劇空間を生み出している。そのシュールな状況設定やセリフ回しには、作者である千原 浩史(弟・ジュニア)の類い希な才能が感じられる。そしてまた彼には詩人としての高い資質も感じられた。 「お母さん」はヘリコプターに育てられた少年のお話。空を行くヘリコプターの音を聞くとお母さんのことを 思い出すという少年の、おかしいけれど、おかしくてばかばかしくて笑ってしまうけれど、その笑いの底から うっすらと少年の哀しみが伝わってくる。


2004年7月20日 火曜日

終わった終わった
 6月末締切の詩をやっと書き終えた(遅すぎるけど)。これでこの夏の仕事もほぼ完了。まだ2箇所での 講義等、いくつかの仕事は残っているけれど、まずは締切に追われることもなく、気分的にはずいぶんと 楽になった。
 竹内まりやの、60年代の曲をカバーしたアルバム「Longtime Favorites」を聴きながら、はるか昔の夏 を思い出す。「悲しき片想い」「なみだの16才」「ボーイ・ハント」…。
 高校1年の夏、初めて女の子に交際を申し込んだ。電話ボックスに入り、ふるえる指でダイヤルを回し たことなどが懐かしく思い起こされてくる。彼女はテニス部、僕はサッカー部。
 「今、返事をしなきゃダメ?」
 「あ、いや、夏休みが終わってからでもいいよ」
 結局、答えの聞けないまま卒業してしまった。それで僕の夏休みは今もどこか終わっていないような…。


2004年7月11日 日曜日

ガーネット VOL.43発刊
 ガーネット最新号がやっとこさ出ました。10日ほどの遅れ。待ちわびてくださっていた方々には申し訳あ りません。遅くても明日にはご自宅に届くと思います。このHPの「ガーネット」の欄にも内容(目次)を紹介 し ていますのでご覧下さい。
 本誌「ガーネット」では購読会員制をとっていますが、その購読会員であった金沢在住の詩人伊名康子 さんが亡くなられました。第1報が「あざみ書房」の掲示板(7月6日付)に載っていて、驚きました。闘病中 であったとはまったく知らないことでした。こちらへの時折のお便りにもそんなことは少しも触れられていな かったので…。
 伊名さんは本誌20号からの購読会員でした。思えば丸8年。「友達にもあげたいので」と、2冊の送付を 希望され、会費は1冊分で結構ですと言ったのにいつも律儀に多めの会費を送って下さっていました。4、 5年ほど前、あれはたぶん大阪で行われた「詩マーケット」の会場でだったと思うけど、一度だけお会いし ました。にこやかに話しかけてこられたのが印象に残っています。伊名さん、今までご愛読ありがとうござ いました。心よりご冥福をお祈りします。

 今日は参議院選挙の投票日。夕方に1票を投じてきたけれど、結果はどうなるんだろう。この国がこれ 以上危ない方向に進まないような結果になればいいんだけれど…。皆さんは投票に行きましたか?

 6月半ばから追われていた仕事もほぼ完了(後、詩の締切が一つだけ)。大学の講義も後1回でおしま い。九州地方では今日梅雨明け宣言が出たそうです。いよいよ夏本番。海に山に恋に(?)、皆さんにも すばらしい夏の思い出ができますように!


2004年7月7日 水曜日

朝日作曲賞、「キリンの洗濯」が受賞!
 と言っても、僕が受賞したわけではなく、受賞者は若い作曲家、堀内貴晃さん。拙作に曲を付け応募し た混声合唱組曲「キリンの洗濯」が今年度の朝日作曲賞を受賞したというわけです。組曲の中の1曲は来 年度全日本合唱コンクールの課題曲の一つになり、来年の夏から秋にかけて各地の合唱コンクールで歌 われるとのこと。堀内さん、おめでとう! ぼくも自分のことのようにうれしい。来年のコンクール、一度くら い聴きに行けたらいいなと思っています。

 6月半ばからいくつもの締切や雑事に追われて、久し振りに目の回るような忙しさでした。それも昨日で あらかた片付き、ほっと一息ついています。遅れていたガーネットの次号も9日には仕上がってくる予定。 まだ送られてこないと心配されている購読会員の方々には申し訳ありません。来週の初めには届くと思い ますので、もう少しお待ちください。


2004年6月30日 水曜日

てのひら童話 
 1993年に刊行されたおーなり由子さんの『てのひら童話』が文庫(角川文庫)に
なりました。本書はおーなりさんがマンガの世界から絵本の世界へ移行する転換点
となった記念すべき作品集。移りゆく季節を背景につづられた25の小さな物語。そ
の一つ一つから、遠い子供の頃の、ちょっぴり切ない思いとぬくもりが、なつかしく
甦ってきます。
 なお、本書巻末の解説をどういうわけか僕が書いています。これを読めば、おー
なりさんの創作の背景が多少は見えてくるかも…。御一読を。
  と書いたのはいいけれど、おーなりさんのホームページを見ると、本書の42Pと43Pが入れ替わってい るとのこと。要するに今店頭に並んでいるのは不良品。既に買ってしまった人は、角川書店の方に送れば 新しい本と交換してもらえるそうです。その際、おーなりさんのオリジナル・ポストカードをお詫びに付けても らえるそうです。でも、こんなことを書くと、今のうちに不良品を買っておこうという人が出てくるかもしれな いな…。


2004年6月23日 水曜日

つゆの 雨ふるなかで
 先日、京都新聞に詩人の黒瀬勝巳さんを紹介する文章を書いた(6月18日付掲載)。黒瀬勝巳と言っ てもご存じの方は少ないかもしれない。亡くなってからもう23年になる。京都市に生まれ育ち、1981年、 36歳の時に亡くなっている。生前一度も会ったことはなく、死後、その作品に触れ、強く魅せられた。現代 詩特有の難解な表現はなく、平易で、軽妙。しかし、その底には人が生きていく上での苦しみや悲しみが 流れていて、一度読んだら忘れがたい印象を残す。
 生前に出された詩集は『ラムネの日』(編集工房ノア)1冊のみ。死後に2冊の遺稿詩集(『幻燈機のなか で』編集工房ノア・『白の記憶』エディション・カイエ)が出ている。このうち『ラムネの日』を除いて絶版になっ ているようだ。
 彼の魅力あふれる詩をもっと多くの人に知ってもらいたい。今回京都新聞に書いたのも、そうした理由 からだった。
 23年前の5月の終わり、ちょうど梅雨の始まる頃、「ちょっと散歩に」と言って家を出たまま帰らず、1週 間後、自宅からさほど遠くない古刹近くで遺体が発見されたという。『ラムネの日』に収められた「ゆび植 え」という作品は、そんな彼の最期をまるで暗示しているかのようだ。


ゆびを植える
いっぽん いっぽん
なんぼんも植える

じぶんでも種明しを知らない
手品師のように
上着のポケットから
尻のポケットから
あとからあとからでてくる
ゆびゆびゆび
ゆび

水はけのわるい
瓦礫だらけの地面に
いちめんのゆびだ

くさりかけ
しらじらと
つゆの 雨ふるなかで
いっせいに天を指し
わあっ と叫んでいるゆびのむれ
                   (「ゆび植え」)


2004年6月16日 水曜日

ホッピーの詩
 初めてホッピーの登場する詩を書きました。現在発売中の「科学と学習 増刊号(話のびっくり箱・中学 年)」(学習研究社)に掲載されています。親バカにならないように心がけて書いたつもりですが、結果は …?。興味のある方は書店でご覧下さい。
 ホッピーの体重は現在8kgくらい。急速に増えてきた体重も一段落といったところです。これで止まって しまうのかな。もう少し大きくなってもらいたいけれど…。
 ガーネットの編集の方は少々遅れ気味。7月の初めには出せるように目下ガンバッテ進めています。大 学は7月の半ばから夏休み。僕も長い夏休み。小学生の頃のように、ちょっと待ち遠しい気分です。


2004年6月10日 木曜日

明後日
 今日は久し振りに映画を観に行った。「デイ・アフター・トゥモロー」。地球温暖化により、世界各地で異常 気象が起こり、48時間後には氷河期が来るという破天荒な物語である。内容はともかく、特撮がすご い! 同じ監督(ローランド・エメリッヒ)による「インデペンデンス・デイ」の時にも驚かされたが、今回はそ れを上回る迫力があった。特に、ロサンゼルスにいくつもの巨大な竜巻が発生し街を破壊するシーンや、 ニューヨークの高層ビル群に海が!あふれ寄せてくるシーンなどは、本物のような迫力があった。こういう 映画はやっぱり映画館で観るに限る。
 子供の頃に観た「ゴジラ」以来、僕はこういう特撮パニック物が大好きです。小さい頃に観て、今でも強く 印象に残っているのは、彗星が地球と衝突するというので、南極に巨大な砲台のようなものを造り、そこ からジェット噴射をし、地球の軌道を変えて彗星をよけるという映画(日本映画)。今から思うとナンセンス の極みだが、その当時は眼を点にして観ていたと思う。こうした映画にドラマ的感動のある作品は少ない けれど、映画でしか味わえない非日常の極地が、ドラマ性とは別種の感動、ある種のカタルシスを観客に 与える役割を果たしているようにも思う。
 環境破壊が地球に甚大な被害をもたらすのは遠い未来のことではない、それは明後日(デイ・アフター・ トゥモロー)のことかもしれない、とこの映画は訴えてもいる。10年先ならともかく、明後日なら手の打ちよ うがない。原稿の締切も当然なくなる。それなら今夜はビデオで好きな映画でも観て寝よう、ということに僕 などはなるかもしれない。


2004年6月2日 水曜日

ラブストーリー
 大好きな漫画家、森雅之さんから新刊を送っていただいた。「追伸」というタイトルで、「二人の手紙物 語」という副題が添えられている。札幌と東京という離れた地に住む若い男女の恋が、手紙という形を通し て綴られている。−「手紙の末尾に加えられる『追伸』には、本文に綴りきれなかった言葉、でも本当は一 番伝えたかった思いが、込められていたのです」(本書「序」より)
 森さんのマンガにはいつも少年や少女の日常がやさしくユーモラスに、そして少しばかり切なく描かれて いる。ほとんどが5、6ページまでの短編だが、本書は100ページにも及ぶ初の長編。そして、初のラブス トーリー。
 最近は「冬のソナタ」や「世界の中心で愛を叫ぶ」など、ちょっ
としたラブストーリー・ブームの感がある。「ピュアな恋」といっ
た宣伝文句も目につく。本書も「ピュアな恋物語」ではあるけれ
ど、「ピュア」というより、「古風」という方がぴったりくるような感
じがする。1年も手紙のやりとりをしていて、その間にはお互い
の家を訪ねて二人きりになったりもしているのにキスもしない。
もちろん、抱き合ったりもしない。今時こんな恋愛、ないんじゃ
ない、と思ってしまう。初出は15年前で、作者もあとがきで、
「こんな古くさい恋人達の話が現在に通用するのかと思いまし
たが…」と書いている。そしてその後続けて、「描かれた時に、
もうすでに古い恋人たちだった」という友人の言葉を紹介して
いる。まさにここに描かれている恋愛は、明治、大正、せいぜ
い昭和初期までの形のような感がする。とうの昔に喪失された
男女の恋愛の形。しかし、だからこそ、心に深く響いてくるもの
がある。簡単に肉体関係を結ぶ時代にあっても、「追伸」でし
か伝えられない気持が、今を生きる人の心の中にも残ってい
るような気がする。
 本書の帯には女優の永作博美さんの、「どんどん力が抜けてゆく… 途中2ウル。後に3ポタ。私の凝り 固まった全神経は瞬時に溶かされた」という言葉が記されている。2ウル、3ポタというのは、2回ウルウル ときて、読後に3粒涙がポタっと落ちたということらしい。僕は男の子なので涙は流さなかったけど、その代 わり、途中3ウル、してしまった。
 僕の仕事の方は、5月末締切の原稿も書き終え、ほっと一息。この後はガーネット次号の編集に邁進、 といったところです。 


2004年5月26日 水曜日

すごい夕焼け
 週に一度某大学に非常勤講師として通っている。片道2時間。午後からの2コマの授業であるけれど、 往復の時間も入れると、ほぼ1日がそれでつぶれてしまう。それはまあいいとして、その通勤時間以上に 大変なのが前の日の予習。単発の講演なら、いつもの「発見と飛躍」の話で済むが、毎週となるとそれで は済まない。毎回新しいネタ(?)を仕込まなければならない。自分の学生時代を思い起こして、できるだ け退屈な授業にしないように心がけているけれど、そう思えば思うほど下調べが大変になる。
 日本に今日の詩がもたらされた明治時代の新体詩から始め、現代詩に遡っていこうという構想の下とり あえず始めた。教室には100名近い学生たちがいる。最初の内は緊張していた学生たちも、5回目、6回 目ともなると気がゆるみ、机の上に顔を伏せて寝ている姿も多くなってくる。お昼ご飯を食べたすぐ後だか ら、眠たくなってくる気持も良く分かる。僕も学生時代はよく寝ていたような…。
 明治時代の詩なんて、今から見ると、ほとんどおもしろいものはない。その中で、島崎藤村の「小諸なる 古城のほとり」と萩原朔太郎の「蛙の死」の共通点や、上田敏訳『海潮音』の中のブラウニングの詩(「春 の朝」)とプレヴェールの「庭」や佐々木信綱の短歌(逝く秋の大和の国の薬師寺の…」)との共通点など、 それなりにおもしろい発見を提示して話しているつもりだが、それでも寝ている学生の目は覚めない。
 昨日の授業(6回目)では、朔太郎、犀星、暮鳥の話をしたが、朔太郎の『月に吠える』は性欲の塊のよ うな詩集だと話し、その証明をしたところだけ寝ていた学生たちの目もぱっちり覚めて、熱心に聞き入って いたようだった。
 毎回の予習に2日ほどかかる。前日は寝るのが夜明けの3時、
4時過ぎになったりもする。寝不足で当日はこっちもふらふらにな
る。学生と一緒に机に突っ伏して寝られたらなあと時に思ったりも
する…。
 昨日、学校から帰ってきて、着替えのため部屋に入ったら、赤い
陽がさし込んでいた。窓の向こうを見ると、すごい夕焼け! 思わ
ずカメラをとりだして、夕焼けを撮った。しばし疲れも忘れて、うっと
りと暮れていく空を眺めていた。




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