平成中村座ニューヨーク凱旋公演
先日、大阪・松竹座で歌舞伎を観てきた。中村勘九郎率いる平成中村座がこの夏ニューヨークに芝居
小屋を建て行った歌舞伎の凱旋公演である。当地ではかなりの評判となり、日本でも現地の模様がテレ
ビ・新聞等で報じられ話題となった。
僕はそれほど歌舞伎に興味があるわけではない。以前勤めていた職場で毎年中学生や高校生のため
の歌舞伎鑑賞会を行っていて、毎年それに便乗して1時間程度の公演は観ていたけれど、自腹を切っ
て、本格的な公演を観るのは今回が初めてだった。
それまでは観ていて、きれいだな、芸があるなあ、と思ったりはするけれど、映画のように感動したり、
興奮したりすることはなかった。けれど、今回の公演はすこぶるおもしろかった。今まで歌舞伎に抱いて
いたイメージが一新されたような公演だった。それはニューヨーク公演を忠実に再現したものだったから
かもしれない。江戸から遠く離れた時代に生きる我々現代人も、江戸時代の人達から見ると異人であ
り、その異人達にとって、今回の公演が現代語に限りなく翻訳された公演であったから、分かりやすく、
おもしろく、興奮する舞台となっていたのかもしれない。
芝居が始まる前に、出演者達が客席を何事か言いながら歩き回る。映画では味わえないライブの興奮
が否が応でも高まってくる。芝居が始まると、二人の外人が登場し、英語と日本語を交えたトークで芝居
の展開を説明しつつ笑いを誘う。中盤では新劇の笹野高史と勘九郎が泥水をかぶりながら争う場面が
圧巻。そしてラストでは舞台が大スクリーンに変わり、ニューヨークの高層ビル群を走る勘九郎と橋之助
の姿を映し出す。
伝統を重んじつつ、現代の観客を楽しませるための工夫と仕掛けがいっぱいあった。14,700円とい
う料金は庶民にとってかなりの出費ではあるけれど、それだけの価値がある舞台であったと思う。
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アンソロジー集
現代詩手帖今月号の表紙裏に、「現代詩文庫 第1回配本 高階杞一詩集」という砂子屋書房の広告
が載っています。それを見て、「え、こんなの出たの?」と驚かれた方もいるかと思います。僕自身、「え、
もう出たの?」と驚きました。本当は9月の半ば頃には出る予定だったのですが、発行が遅れ、こちらの
手許にもまだ届いていません。どうやら広告が先行してしまったようです。発行され次第、このページにも
詳細を載せますので、皆さんぜひ買ってくださいね。絶版になっている最初の2冊の詩集も収録されてい
ます!
話は変わりますが、イチローが今日ヒットを3本打ち、大リーグ記録を塗り替えたそうです。たいしたも
んだと思いつつ、今日の昼間、興奮するテレビの画面を眺めていました。
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28日後…。
最近、特に書くこともないので、この欄の更新もちょっと間が空きがち。あんまり間が空いて、病気でも
しているの?、と思われてもいけないので、ここ最近のあれこれを記します。
●お尻にカメラ
3年ほど前、人間ドックを受けた時、大腸にポリープがあると分かり、入院してその切除手術を行った。
お尻からカメラを入れられて、ポリープがあるとパチリと切る。手術とは言えないほどの簡単なものだが、
カメラが大腸の中を回るのはすこぶる痛い。それを我慢しつつ、テレビのモニターを見る。自分の大腸の
中がテレビ画面に映っている。昔観た映画「ミクロの決死圏」を思い出す。医者はポリープがあると、「ほ
ら、ここにあるでしょ」と、何だか嬉しそうに言い、パチリと切る。その切りとったものを後で調べると、一つ
が癌化していた。2年に一度くらいは検査を受けてくださいと言われ、今月初めに検査を受けてきた。ま
たポリープができているかもと、半ば覚悟しつつ受けたが、結果はポリープなしで一安心。でも、同時に
受けた血液検査で、癌があると数値が高くなるというCEAが高めで、また再検査。バリウムやCTスキャ
ンの検査を受けて、今度は、「胃にモコモコがある」と言われ、またまた再検査をすることになった。これ
は来月の初め頃。検査を受けるのはいいけれど、前の晩、お酒を飲めないのが、お尻にカメラを入れら
れるよりつらい。
●イタ電
先日、携帯電話に同じ番号から1日に6本も電話が入っていた。夜になって初めて気がついた。普段、
携帯はカバンの中にしまったままなので鳴ってもほとんど気がつかない。電話番号から相手を特定でき
るソフトを使って調べると、某テレビ局。それから注意して携帯を側に置いていたが2日間、音沙汰なし。
3日目の朝、また携帯が鳴る。「○○テレビ局ですが…」と相手は言う。結局、間違い電話だったと分か
る。クイズ番組に応募した人が間違えてこちらの番号を言ったようだった。
よくイタズラ電話的なものがかかるので、こういうことがあるとドキッとする。1年ほど前にも、非通知で
脅すような調子の電話を何度かかけてきた人がいる。イタズラ電話をする人はたぶんこういうことでしか
自分の怨み(?)を消化できない人なんだろう。かわいそうな人だと思うけど、今目の前にいたら、一発く
らい殴ると思う。
●28日後…
最近は暇にあかせてよく映画を観る。レンタルビデオを借りてきて、この2ヶ月ほどで30本以上は観
た。玉石混淆。でも、どんな映画でも、ひととき別の世界に浸れるのはいい。
今日、レンタルビデオで借りてきて観たのは、「28日後…」。あるきっかけで細菌がはびこり、28日後
にはほとんど街が死滅しているという物語。ハラハラドキドキ。観ながら、ちょっとゴールディングの小説
「蝿の王」を思い出したりもした。極限の状況で人はどんなふうになるか、という意味で…。
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えびボクサー
それほど期待せずに観て、観終わった後、予想外に良かった、と思うような映画がごくたまにある。火
星人の襲来を描いたSFコメディ「マーズ・アタック」もそうであったし、つい最近観たこの「えびボクサー」も
そうだった。
レンタルショップで棚を眺めていた時、このタイトルが目にとまった。「あ、この間予告編でやっていたや
つだ」と思ってケースを手に取ると、外国映画。あれ?確か日本映画だったはずだけど…としばし考え、
それが「いかレスラー」の勘違いであることが分かった。何か似たようなタイトルだなあ…と思いつつ、ち
ょっと心惹かれて借りてみることにした。
観る前は、えびの縫いぐるみを着たボクサーがリングで戦う、ナンセンスな、一種のおバカムービーだ
ろうと思っていた。ところが、観始めるとどうも様子が違う。ボクサーがえびの格好をして戦う映画ではな
く、本物のえびをボクサーにしてリングで戦わせようとする映画なのだった。本物のえびといっても、2メー
トルを超えるそんなえびが現実にいるわけもなく、見た目にも人間による着ぐるみであるのは丸分かりな
のだが、映画の設定はあくまで本物のえびである。キョトンとした目はかわいげがあり、巨大な体からは
哀愁が漂ってくる。ナンセンスな展開に笑わされつつ、ラストでは涙があふれてきた。映画を観て泣いた
のは久し振りのことだった。エンディングのオチ(?)もしゃれていて、泣いた後でまた大笑いの締めくく
り。
イギリス映画もなかなかやるなあ、「トレイン・スポッティング」はかなり過激だったけど…などと、観終わ
った後思ったことでした。ちなみに、日本映画の「いかレスラー」は、この「えびボクサー」をヒントにして作
られた映画とのことです。
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危機一髪!
8月の終わりから9月の初めにかけて、信州の小淵沢に行って来ました。犬も一緒に泊まれる宿をネッ
トで探していたら、感じの良さそうな貸別荘が見つかり、早速予約。10人くらいは楽に泊まれそうな室内
と、広い庭があり、ホッピーも大喜び。その別荘を基点に、周辺の清里や白州・尾白川渓谷等を散策。
清里は3度目だけど、清泉寮あたりは広大な牧場に包まれて何度行っても気持がいい。尾白川渓谷で
は、吊り橋を渡る時、ホッピーがへっぴり腰になりこわごわ渡っていくのがおかしかった。
温泉につかり、おいしいお蕎麦や焼き肉を食べ、大満足で帰宅の途へ。と、ここまでは良かったのだけ
れど、帰り、名神を走っている時、後ろで突然大きな音が! バックミラーを見ると、すぐ後ろで軽自動車
が大型のトラックに突っ込まれ、横転、大破しながらこっちへ突っ込んでくる。慌ててアクセルを踏む。渋
滞ですぐ前にも車がいたので、そんなに前に出られない。もうダメだと思ったけれど、当たるギリギリのと
ころで止まってくれて、何とか事故に巻き込まれずに済みました。すごかったなあ、と興奮気味に話ししつ
つ家まで無事に帰ってきました。翌日、車の後ろを調べると、傷が何カ所か付いていました。どうやら飛
んできた破片で付いた傷のようでした…。あー、怖かった。
こんな目に遭い、そして台風に追われながらの旅だったけれど、2日目からは青空も見えて、さわやか
な夏の終わりの高原を満喫することができました。これも日頃の行いがいいから、かな?
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貸別荘「月見荘」 |
庭で遊ぶホッピー 1 |
庭で遊ぶホッピー 2 |
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部屋でくつろぐホッピー |
八ヶ岳リゾートアウトレット
から見た山並み
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桐の箱に入った「乙事亭」の
お蕎麦。すごくおいしかったよ。
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ブラスト!
今日、「ブラスト!」を観てきました。すごく迫力があって、久し振りに感動した公演でした。ブラス演奏に
ダンスをミックスさせたパフォーマンス。音の迫力もすごいけど、演奏者が楽器を持ちながら、踊り、飛び
跳ねる様は、視覚的にも引き込まれるものがありました。休憩時間にも打楽器奏者がロビーに出て、木
の丸椅子とゴミ箱(ポリバケツ)を使ってパフォーマンスをするというサービス満点の趣向。日本人唯一の
出演者である石川直(なおき)などは、ロビー・パフォーマンスの時、ナオキ!という黄色い声援が飛ん
で、まるでアイドルのようでした。
公演後、駅に向かう帰り道で思ったのは、アメリカはこんなに素晴らしい芸術を生み出せる国なのに、
武器で他国を攻めたりせず、武器で何の罪もない人々を苦しめたりせず、こうした芸術で世界中の人を
感動させればもっと尊敬される国になれるのに、ということでした。
武器ではなく音楽やスポーツで、脅し文句ではなく互いを讃え合う言葉で、世界が結ばれる日がいつか
来ればと思うけれど、現状を見ていると、人間という生き物がこの地上にある限り、そんな時代は永遠に
来ないようにも思われてきて、暗澹とした気持ちになってくる…。
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オリンポスの果実
オリンピックが始まってからずっとテレビにかじりついている。朝から晩まで、時には深夜まで。そのせ
いかどうか、最近目の調子がおかしい。左目が、かすむというより、もわあとした感じ。高校生の頃、網膜
剥離になったので、体調が崩れるとすぐこの左目に来る。これが来ると、頭まで何となくもわあとした感じ
になり、すこぶる困る。目薬をさし、ここ数日テレビを見るのは控えてはいるのだけれど…。
オリンピックといえば、いつも1冊の本を思い出す。太宰を師と仰ぎ、その墓前で後を追った作家・田中
英光の処女作「オリンポスの果実」(昭和15年発表)。ボートの選手としてオリンピックに出場した自身の
体験を基に、渡米する船上で知り合った女子選手への想いを瑞々しい筆致で描いた青春小説。それに
しても、こんなに最初から最後まで、ひとりの女性を好きだと言い通しの小説も珍しい。
オリンピックに出場する選手の中には、メダルとは無縁の、日の当たらない選手もたくさんいるだろう。
けれど、どの選手にもきっとそれぞれのドラマがあるんだと、こんな小説を読んでいると思われてくる。
「戦地で、覚悟を決めた月光も明るい晩のこと、ふっと、あなたへ手紙を書きましたが、やはり返事は
来ませんでした。
あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか。」(「オリンポスの果実」より)
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開会式
アテネオリンピックの開会式を観た。久し振りに強い感動を覚えた。「海」の上をゆっくりと進む紙の小
舟、空に浮かぶ彫刻、壁画の中から抜け出してきたような古代の人々の踊り…。最初から最後まで驚き
の連続で、しかもそれらは芸術性に富んだ素晴らしい演出だと思われた。
入場行進が始まり、世界各国の選手が様々な衣装で入場してくる。今も戦争や紛争で苦しんでいる国
の人々もいる。イラクが入場してきた時には、思わず涙がこみ上げてきた。7万人以上が埋める観客席
からも大きな歓声と拍手が湧いた。世界中の人達の望んでいることが、この大きな歓声と拍手に象徴さ
れているようだった。
後半にビヨークが表れて歌い出した時にはちょっと驚いた。ビヨークってアイスランド出身だと思うけど、
なぜこの場の歌手に選ばれたんだろう? キリシャと何かつながりでもあるんだろうか? まあ、それは
ともかく、彼女の語りかけるような独特な歌声は古代の雰囲気漂う会場に響き、心に沁みた。
今日は終戦記念日。周辺の国では戦勝記念日であったり解放記念日であったりもする。武器ではなく
スポーツで戦うことの意味と素晴らしさが、オリンピックを通じて世界中の指導者の胸に少しでも届けば
いいんだけれど…。
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更新
既刊著書のページに『ティッシュの鉄人』を追加した。去年の8月刊だから、1年が経っている。本来な
ら刊行後すぐに追加すべきページであるが、日々の雑事や仕事に追われ、1年も延び延びになってしま
った。ほかにもまだ、「第3回ガーネット祭」(2003年9月)のページ等、同様の理由でそのまま延び延び
になっているものもある。
このホームページ全体のレイアウトもずっと気になっている。簡易ソフトで作っているので、なかなか応
用が利かない。公開した当初、トップページの画像を見て、「メガネをかけているのですか」とか「パイプを
吸われるのですか」等の質問をよく頂いた。僕はメガネをかけていないし、パイプも吸わない。それなの
にこんな画像を使ったのは、ソフトにあった画像のうちで一番落ち着いた感じであったからに過ぎない。ト
ップページの画像を変えるくらいは簡単にできるようになったが、どうせ変えるなら、全体を全く一新した
いという思いもあって、なかなかできないままでいる。
この夏休み中にいろいろと試してみよう。うまくいくかどうか分からないけど、ある日突然、このページの
デザインが全く変わっているなんてことがあるかも…。
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自作への付曲
今回新たに「自作への付曲一覧」のページを作りました。これまで拙作にたくさんの方が曲を付け、発
表してくださっていましたが、どの人がどの詩に曲を付け、いつ発表してくださったのか、自分でも収拾が
つかなくなり、今回まとめてみました。この一覧を眺めてみると、『キリンの洗濯』と『空への質問』への付
曲ばかりでした。
このうち実際に演奏会場で聴いたのは1993年に上野奏楽堂で演奏された時の一度だけ。後は送ら
れてきたテープやCDで聴いたり、また、全く聴いたことのないものもあります。ネットで検索していて、自
分の詩が知らないところで曲を付けられ発表されていた、と気づいたようなこともありました。作曲家の皆
さん、曲を付け発表する場合、詩作者への許諾は最低限のルールとしてお願いします。
今まで自作に付けられた曲をいくつか聴いたけれど、クラシックの曲は正直なところメロディが複雑で
歌いにくい。現代詩と同様に、現代音楽もこうしたものなんだろうか?
今、往年(?)のフォーク歌手の方が拙作に曲を付け歌って下さっています。こちらはフォークだけに親
しみやすいメロディになっています。もしかしたら、年内に拙作の曲を収めたその人のCDが発売されるこ
とになるかもしれません。もし出たら、皆さん買って下さいね!
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