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日々のあれこれ

日々のさまざまな思いや出来事を、つれづれなるままに綴っていきます。

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2005年7月22日 金曜日

中村勘三郎襲名披露公演
 先日、大阪・松竹座で行われた中村勘三郎襲名披露公演を観てきた。メインの出し物は野田秀樹脚本・ 演出の「研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)」。この作品は以前(平成13年)にも上演され、その際大好評 を博したと聞いていたのでかなりの期待をもって出かけたのであるが、結果は期待はずれのものだった。 演者は演出家の意図に添ってそれなりに熱演していると感じられたが、いかんせん脚本・演出が悪すぎ る。表層的な笑い(受け)にばかり走り、芝居としての底が浅くなっている。
 駄洒落や最近の芸能ネタなどが随所にちりばめられ、観客に受けさえすればいいというあざとさが全体 から感じられた。事実、野田秀樹の目論見通り観客は爆笑していた。こんな小ネタで笑う(受ける)から勘 三郎本人も演出家も、好評を博したという大きな勘違いをしてしまうのだろう。終盤に、今人気のコント・コ ンビ「レギュラー」の「あるある探険隊」のふり真似が出てきたときには、しらけて、さらには腹立たしくさえ 感じられてきた。これなら藤山寛美の松竹新喜劇の方がよほどましだと思われた(こんなもんと一緒にせ んといて! と怒る寛美さんの声が天国から聞こえてきそうだが…)。笑いにも質の高低がある。野田秀樹 はもう一度一から「笑い」を勉強し直した方がいいのではなかろうか。

 ガーネット最新号(46号)の目次をアップしました。ご覧ください。

 小学生から大学生までもう夏休み。僕も後少しで夏休み、といったところです。


2005年7月16日 土曜日

ガーネット、完成!
 ガーネット46号がやっと出来上がってきました。早速封筒に詰め、本日発送しました。購読会員等の皆 様には、早ければ明日にも届くと思います。目次等の詳細はまた後日、「ガーネット」の欄でご紹介する予 定です。
 これで少しだけ一段落といったところです。今月は後、大学の通常の講義が1回と特別講義が1回。先 月締切だった詩4つのうち2つは結局書けずに流すことに…。これだけが残念であり、せっかく依頼して下 さった方には申し訳ない気持です。
 新詩集の方は目下進行中です。9月1日発行を目指していましたが、少し遅れ、9月下旬発行になる予 定です。こちらも楽しみにお待ちください。
 京都新聞・新刊評に今回(6月25日付)取り上げた詩集は次の4冊。高橋冨美子『塔のゆくえ』(編集工 房ノア)/田中昌雄『廃屋のアルケオロジー』(編集工房ノア)/佐相憲一『永遠の渡来人』(土曜美術社) /村田好章『ひみつをもった日』(編集工房ノア)


2005年7月9日 土曜日

ガーネット、編集完了
 昨日、やっとガーネットの編集が終わりました。これで少しだけ、ほっと一息。7月16日(土)にはできあ がってくる予定です。半月ほどの遅れで、購読会員の皆様には申し訳ありません。
 まだ今月はいくつかの場所での講義や新詩集の最終的な詰めなどがあり、バタバタした日々が続きそう ですが、来月にはちょっとゆっくりとできそうです。例年のように、信州に行って、どこかひなびた温泉にで もつかれたらいいなあと思っています。
 もうすぐ夏休み。皆様にもいい夏の思い出ができますように…。


2005年6月29日 水曜日

雷とホッピー
 今日は久しぶりの雨。おまけに雷まで鳴って。
 ホッピーは雷が恐いので、鳴り始めるとしっぽを垂らし、テーブルの下などにもぐりこむ。これは天災から 身を守ろうとする動物的本能だろうか?
 子供の頃に飼っていた雑種も雷が大嫌いで、雷が鳴った日、犬小屋
の網を破って逃げ出したことがある(かなり頑丈な鉄製の網だったの
に、どのようにして破いたのだろう。今でも不思議)。逃げ出して、1週
間ほどしてから家に戻ってきた。雷の鳴る中を、無我夢中で走り、ずい
ぶん遠くまで行ったようだった。犬は大なり小なり、雷が苦手なようだ。
人間のように、「クワバラ、クワバラ」と唱えることができたらいいんだけ
どね。
 ね、ホッピー、もうすぐ鳴りやむから大丈夫だよ。  パソコン台の下に潜って震える
 ホッピー


2005年6月23日 木曜日

遅れ気味
 先月末からのあれこれで、仕事の方がかなり遅れ気味になっている。目前の急ぐ仕事から取り敢えず片 付けていってはいるが、なかなか前に追いつけない。今月末までに詩を4つ。これだけでも、とてもできそう にない。断れるところは断って、延ばせるものは延ばしてもらって、と思ってはいるが…。
 ガーネット次号(46号)の発行も、そんなわけでかなり遅れる見込みになってきた。購読会員の皆様には ご寛恕の上、ご了解いただければ幸いです。(今日のあれこれは言い訳がましい。分かっていながら、取 り敢えずの状況報告をすることにして…)。


2005年6月16日 木曜日

「象の鼻」の意味
 拙作「象の鼻」が今年度の全日本合唱コンクールの課題曲になって以来、全国各地の主に高校生から、 「象の鼻」の意味についての問い合わせが来るようになった。本来、詩は読み手がそれぞれに感受するも のであって、作者が自己解説するものではないのだけれど、今回は詩が詞となり、歌うためにより理解を 深めたいということなので、それぞれの問い合わせにヒントとなるようなことを書いて返信している。「象の 鼻」は象にとってのアイデンティティである、というようなことを書いて返信しているが、詳細を問いつめられ たら、作者自身にもきちんと説明できかねる部分もある。詩というのは、言葉で説明しがたいことを言葉に よって表現するものであるから、その説明しがたい部分は読者それぞれに読みとってもらうより他にない。
 今年の全国大会に、1組でも「象の鼻」を歌ってくれるグループが残ればいいなあと思っている。みんな がんばって練習してね! 


2005年6月9日 木曜日

父の死
 父が6月6日午前1時20分に亡くなった。胸にいつ破裂してもおかしくないという大動脈瘤ができ、その 手術のために入院していたが、手術に至る前に腸閉塞、腎機能の悪化等さまざまな病気を併発しての死 だった。享年80だから、まあ天寿をまっとうしたと言える。死に際もほとんど苦しむことなく逝ったので、父 にとってはやすらかな死を迎えられたと思う。
 短気でわがままな父だった。子供の頃はしょっちゅう殴られ蹴られ、押入に閉じ込められたりして、押入 の中で泣きながら、「いつか大きくなったら殺してやる」と思ったこともあった。年老いたら少しは柔和になる かと思っていたが、死ぬまでその性格は変わらなかった。
 僕が高校生の頃だったか、父が市の清掃作業員にぼこぼこに殴られて帰ってきたことがあった。ゴミの 出し方をめぐってケンカになったようだった。僕は父の仕返しをするためにそのケンカをした場所まで行っ たが、その時にはもう作業員たちは去った後だった。つまらないケンカ騒ぎのことではあるけれど、この時 僕は父を初めて尊敬した。ケンカの正否は別にして、一人で何人もの相手に向かっていったということに 尊敬の念を感じた。後にも先にも尊敬したのはこれ一度きりのことだけれど、根は優しい人だったように思 う。人付き合いが苦手で、友達もなく、家族だけを支えにして一生を過ごし、去っていった。家族にいっぱい 迷惑をかけ、最期まで感謝やわびる言葉もなく去っていった。ほんとうに短気でわがままな父だった。


        訪問


  よう殺されよんなあ
  と父が言った
  テレビの話である
  どうやら悪役専門の俳優らしい
  時代劇と刑事物が好きな父に言わせると
  彼は
  出るたびに殺されているという
  学歴もなく
  テレビと犬の散歩だけが趣味のような
  父の家の本棚には
  秀吉や龍馬や西郷がびっしりと肩を寄せ合っている
  大卒の息子も歴史だけは父にかなわない
  何ヶ月かに一度実家に帰り
  歴史の話をすると
  父はとても嬉しそうな顔をする
  警察を三十年勤め上げ
  その間
  一度も殺されることのなかった父が
  息子の家で
  テレビを見ながら
  「たまには殺してみたいやろ…」
  と ぽつりと言う
  (しかし、あの顔ではムリだろう…)
  テレビに主役のキレイな顔がアップでうつる
  人をさんざんに斬り殺し 晴々とした顔で笑ってる
  父は自転車に乗って帰っていった
  三十年間
  一度も
  殺すことも殺されることもなかった父が
  家の前の急な坂道を
  ブレーキを必死でかけながら下りていく
  その後ろ姿を見送った
                            (高階杞一『キリンの洗濯』より)


2005年6月1日 水曜日

みんなひとりぼっち
 毎年、大学での授業が始まって最初の頃、学生たちに「窓」というテーマで即興詩を書かせている。時間 は10分。火事場の馬鹿力ではないけれど、時間に追われ、ひとつのことに集中することによって、「何か を発見する」ことを主眼としている。
 今年もそれを行い、学生たちの作品を講評した後、「窓」との関わりで、自分の昔書いた作品を紹介し た。「Close the window」という次のような作品。

    ザーザーと外は雨が降っている
    空梅雨
    というのに
    ここだけ
    ひっきりなしに降っている
    おかげでザーザーと電話がかかる
    
    ずっと昔
    雨の日に
    プツッと切れて
    それっきりになってしまった電話
    ほんとうは
    それを待っている
    のに待っていない電話ばかりが
    かかる

    (中略)

    耳をふさぐ
    にんげんのうすいてのひらを突きぬけて
    この雨は
    あれからずっと
    降っている
                           (第2詩集『さよなら』所収)

 この詩のタイトルはリタ・クーリッジというアメリカの女性歌手のヒット曲「We' re all alone」の中の 「Close the windows, calm the light/And it will be alright/No need to bother now」からとってい る。日本語対訳では、「窓を閉めて、灯り、おとしてごらんなさい/そうしたらきっと大丈夫/もう悩むことな んてなくなる」となっている。
 この曲は当時、「みんなひとりぼっち」という邦題で日本人の歌手が日本語訳で歌ったりしていたし、今で も時折テレビのコマーシャルで流れたりしている。学生たちにこの曲を聴かせ、知っている人、と聞いた 時、誰も手を上げなかったのには、時の流れを感じ唖然としたが…。
 死ぬ時はみんなひとりぼっち。この世に「さよなら」と手を振って、僕は、願わくばいさぎよく去っていけた らと思う。


2005年5月20日 金曜日

新詩集の予定
 目下、新詩集の準備を進めています。2000年から2004年までに発表した作品を収める予定です。発 行所と表紙の装画者が決まり、ほっと一安心。後は自分の作品をまとめるだけ…なんですが、これがなか なか前に進まない。手直しを始めるときりがなくなるような作品もあり、これは落とそうか、でもちょっともっ たいないなあ…と作品の絞り込みや順番に頭を痛めています。9月1日発行予定。装画者はユニークな作 風のまだ若いイラストレーターです。こちらもお楽しみに。
 京都新聞・新刊評で今回(5月14日付)取り上げた詩集は次の4冊。瀬戸口美代子「西の窓」(編集工房 ノア)、殿井善隆「異色対談」(編集工房ノア)、四方彩瑛「飄飄」(交野が原発行所)、沖野慧子「絵・詩・文 集」(澪標)。


2005年5月12日 木曜日

思い違い
 昨日、「著書の画像をクリックすると実物大で見られるようにしました」と書いたけれど、これって思い違 いであることに気付きました。自分のパソコンの画面上で「実物大」になるように設定したけれど、モニター の大きさが変われば画像の大きさも変わる…、夜中にふっとそう気付きました。そうですよね? きっと。 小さなノートパソコンの画面で見たら画像も小さくなっているような…。ちなみに僕のパソコンのモニターは 17インチです。この大きさの画面で見たら、ちょうど「実物大」になっていると思うんですが。




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