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日々のあれこれ

日々のさまざまな思いや出来事を、つれづれなるままに綴っていきます。

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2005年10月6日 木曜日

秋晴れ
 今日は久しぶりにいい天気。澄んだ青空に刷毛ではいたような雲があって、まさに絵に描いたような秋 晴れ。その中をホッピーと散歩。時折立ち止まっては空を見上げ、ふっと旅への想いに誘われる。若い頃 は小さなバッグ一つを持って気の向くままに旅をしたが、今はバッグが重たくなってそう簡単には出かけ ていけなくなった。また昔のような旅ができたらなあ、と感傷に耽っている僕の足元で、ホッピーはおしっこ をしている。
 旅ではないけれど、時折各地から講演を頼まれることがある。依頼を受けた時、講演の内容よりも、ま ずその土地のことを頭に浮かべる。そこが今までに行ったことのない場所であればあるほど旅の気分が 湧いてくる。講演先は都会よりもなるべく鄙びたところの方がいい。できれば温泉なんかあったりもして …。甘いか(?)。
 来月は群馬県沼田市と岡山市へ行く予定。前者はいつもの柳波賞の選考会で、後者は「おかやま県民 文化祭」での講演(11月12日土曜日)。来年2月には伊勢市と姫路市で講演の予定。何だか例年より講 演が多くなりそうな…。

 京都新聞・新刊詩集評(9月24日付)で取り上げた本は次の4冊。山本道夫『一滴の光』(編集工房ノ ア)/石川和広『野原のデッサン』(草原詩社)/北川清仁『途上の旅』(湯川書房)/山田兼士『ボードレ ールの詩学』(砂子屋書房)。


2005年9月29日 木曜日

阪神優勝!
 2年前の優勝時には、「次の優勝、生きているうちにあるかなあ」なんて、半ば冗談交じりに思ってい た。それがわずか2年目での優勝。何だかウソみたい、と思っている阪神ファンは僕以外にも多いのでは なかろうか。18年ぶりに優勝した2年前ほどの感激はさすがにないけれど、それでもやっぱりファンにと ってはうれしい。総選挙で自民党に大負けした鬱憤をこれで少しは晴らせたような。阪神ってやっぱりプロ 野球の万年野党って感じだったから。
 優勝インタビューを受けた岡田監督のスピーチを聞いたが、何だか暗い。星野前監督のような華がな い。甲子園で、4万人のファンの前で優勝したんだから、こんな時ぐらいもっとはちきれたらいいのにとじ れったく思ってしまう。こんなところは民主党の前代表と似ている。名前も同じ岡田だし。それとは対照的 に星野前監督と小泉首相は近い。ワンフレーズでファンや選手を熱狂させる。野球はいいけれど、政治 の熱狂は恐い。こちらの方は冷静に観戦していく必要がある。
 野球の話がいつのまにか政治の話になってしまった。暗い話(?)はこれくらいにして、今日はめでたい 日、美酒を飲んで乾杯しよう。次は日本一!(他球団のファンの皆様、ごめんなさい)


2005年9月22日 木曜日

シンデレラマン
 昨日、久しぶりに映画館に足を運んだ。「シンデレラマン」。とても感動させられるいい映画だった。193 0年代、大恐慌に見舞われたアメリカを背景に、奇跡の復活を遂げる実在したボクサーの物語。単純な シンデレラ物語ではなく、家族のために闘う男の姿が描かれている。貧しい暮らしの中でも夫を誇らしく思 い、支えようとする妻、いつも笑顔を絶やさない子供たち。幸福というのはお金で得られるものではない、 というありきたりなことを改めて思わせられる。そして、生きていくためには希望を失ってはいけない、とい うようなことも。
 迫力あるボクシングシーンとは別に、この映画には心に残る場面がいっぱいある。例えば、豪華なレス トランに夫婦そろって招待された時、出されたステーキに口を付けず、妻のメイがそれをすばやくハンカチ に包みバッグの中に入れる場面など、笑えるが、家で待っている子供たちを思う気持がしみじみと伝わっ てくる。
 主演は「ビューティフル・マインド」のラッセル・クロウ。妻役には「ブリジット・ジョーンズの日記」や「シカ ゴ」で一躍注目を浴びたレネー・ゼルウィガー(以前はレニーという表記だったのに、いつからレネーに変 わったのだろう?)。どちらも好演。マネージャー役のポール・ジアマッティもよかった。やっぱり映画って いいなあ、と思える2時間半でした。

 僕の仕事の方は、学校も始まり、ガーネットの編集もそろそろ。少しずつ忙しくなってきた感じです。
 新詩集は今月末に出る予定だったのが、1ヶ月ほど延びて、来月末頃になる予定です。


2005年9月12日 月曜日

恐い結果
 総選挙の結果が出た。自民党圧勝。まさかの結果だった。自公合わせて3分の2以上の議席。これで、 野党がどんなに反対しようが、参議院で否決されようが、どんな法案でも通ることになる。恐いことだと思 う。せめて与党の中で反対意見でも出ればいいのだが、それも期待できない。異を唱えれば今回のよう に斬り捨てられるから、みんな首をすくめて従うことになるだろう。与党連立政権と言うよりも、小泉独裁 政権となった。これからどんな法案が出され、どんな結果になっていくのか…。
 しかし、どんな結果になろうとも、それは国民自らが選んだことだから仕方がない。せめて過去の歴史 に見られたような、最悪の事態にまで進まないことを祈るより他にない。


2005年9月5日 月曜日

夏の思い出
 毎夏恒例の信州旅行。今年は乗鞍高原へ行って来た。乗鞍へは今回で2度目。前回行ったのは30年 ほど前のまだ学生時代だった。当時のことはほとんど覚えていない。ただバスに長い時間揺られてやっと 行き着いた記憶だけが残っている。
 ホッピーが我が家に来てから、行ける場所、泊まれる宿が限定されてしまう。今回の旅行の必須条件 は、信州、犬も泊まれる宿、それに温泉付き。この3つの条件をクリアした宿のうち、もっとも良さそうな乗 鞍高原のペンション(「ポエティカル」)を選んだ。
 館内に4種類の内湯、露天風呂があり、2泊3日で6回入浴。温泉を満喫できました。ホッピーも高原の 周遊道や広い夏のゲレンデを走り回れて、大満足のようでした。
 旅は人と人との出会い。帰りに立ち寄った喫茶店兼プチホテル「アルム」のお姉さん(まゆみさん)はと ても感じのいい人でした。旅の最後にとてもよい思い出になりました。
ホッピーと朝の散歩 24時間入れる内湯 露天風呂「ああ、極楽極楽」
ベッドで眠るホッピー 乗鞍高原 あざみ池 ホッピーはソフトクリームが大好


2005年8月30日 火曜日

ヒトラー
 総選挙の公示が今日あった。小泉劇場が功を奏して、メディアには「刺客」やら「くのいち」やら「落下傘」 といった言葉が飛び交い、話題には事欠かない。参議院で否決されたから衆議院を解散するという理屈 に合わないことをして、支持率が下がるかと思っていたら、逆に上がっているから訳が分からない。
 小泉首相は、「郵政民営化に賛成か反対か、国民の声を聞きたい」と言っているが、国民の声を聞くだ けならばアンケートでも取ればいい。それで十分民意はつかめる。何10億か、何100億か知らないが、 一つの選挙をするだけで巨額の費用がかかる。それは全て税金でまかなわれる。予算が足りないから増 税しようと言っているときに、こんなバカげた話はない。
 「造反組」の亀井静香氏が、一時、小泉首相をヒトラーになぞらえる発言をしきりにしていた。かなり時代 錯誤な感もするが、あながち外れているとも言えない。
 ヒトラーも国民の熱狂的な支持を受け、合法的に首相になり、総統になった。第1次大戦後、荒れ果て ていた国内の産業を復興し、高速道路網を整備し、他国に奪われていた領土を取り返した。その強いリ ーダーシップに国民は熱狂し、支持をした。これはまあ国民感情から言えば当然のことだろう。しかし、そ の後ドイツがどうなったか、それは歴史を見れば明らかである。
 自分の人気を盾にして、他者の意見も聞かず自分のやりたいことを押し通す。周りの者もその強権に 恐れをなして、盲目のまま従っていく。これは恐いことだと思う。独裁政治へとつながっていく。
 別に小泉純一郎という人が嫌いなわけではない。単純で、私利私欲もなく(と見える)、自分の目的達成 に向かって猪突猛進しているように思える。そういう意味では好感が持てる。しかし、問題は、彼の目的 達成が他の多くの人の願う目的と合致しているかどうかと言うことだろう。
 今回の解散騒動を見ていて、国のリーダーという人は、リーダーシップの強すぎる人よりも、多少頼りな く思えるぐらいの人の方がいいと思えたりした。自信がない人は、その分、多くの意見に耳を傾ける。そん な人が首相だったら、2年前、イラクへの自衛隊派遣もなかったかもしれない。
 今、映画「ヒトラー 最後の12日間」が公開されている。若い頃画家を目指した純朴な青年が、少しず つ変貌し、やがて世界史上希にみる残虐非道な人物として歴史に刻まれる。彼の生き様は、今の時代を 生きる我々にさまざまな示唆を与えてくれる。


2005年8月22日 月曜日

合宿
 先日、我が家で夏の合宿(?)を行った。1泊2日で学生たち9名が参加。ご近所のBOROさんも参加し てくださった。バーベキューの後、BOROさんの生演奏が聴けたのはうれしいことだった。20年以上も前 の僕のボロギターを手にして、弾きにくそうだったけど、さすがプロ、見事な演奏でした。弘法筆を選ば ず? 10時頃からは近所の公園でミニ花火大会。みんなは喜んでやっていたけれど、ホッピーは怖がっ て周辺をうろうろ。雷だけでなく、大きな音はどれも苦手みたい。
 花火の後、家に戻ってからも話は尽きず、午前4時頃にやっと寝ることに。でも学生たちは5時半頃まで フトンの中で話していたとのこと。みんな修学旅行気分だったのかなあ。ぼくはかなり飲んでいたのでフト ンに入るとすぐに熟睡。
 翌日、昨夜(まだみんなが起きて話をしているとき)、僕とホッピーが隣の部屋に敷いたフトンの上でクロ ールをしてはしゃいでいたという話を聞かされ、しばし呆然。全く覚えていない…。そんなに(記憶が飛ぶぐ らい)飲んでいたかなあ…?
 合宿といっても、ただ飲んで話をするだけのことだけど、勉強熱心な(?)学生たちは翌朝、自主的に1 行連詩をやっていた。先生がいなくても大丈夫かも。
 合宿の模様
集合写真 BOROさんとツーショット スイカを食べよう! 翌朝の散歩

 BOROさんのホームページ(仕事部屋)にもこの日のことが記されています。 


2005年8月16日 火曜日

夏休み
 先日、お盆の初日に車で出かけたら、高速道も一般道もすごい渋滞。みんなこの時期は混むと分かっ ているのに、どうして車で出かけるのだろう。そういう自分も車で出かけているのであるが、こちらはホッピ ーがいるので他に交通手段がない。それに父の初盆という儀式のために、どうしてもこの日に出かけざる を得ないという事情もある。みんながみんな、そんなやむを得ない事情を抱えているとは思えないのだ が、やはり移動するのに便利な車についつい頼ってしまうのだろうか。
 普通のサラリーマンにとって長期に休暇が取れるのは、正月休みとゴールデンウイーク、それにこのお 盆休みくらい。だからどうしても長距離移動する時はこうした時期に重なってしまうのだろう。何だか渋滞 する車の列がサラリーマンの悲哀の姿のようにも見えてくる。
 子供の頃の夏休みは長かった。一夏が今の何倍にも感じられるほどに長かった。それは子供の時間 が大人の時間よりはるかにゆっくりと、ゆったりと流れていたからだろう。
 自由業の僕は目前の仕事を片付け夏休みモードに入ったけれど、まだサラリーマン時代の習癖が抜け ず、何かしていないと落ち着かない。子供の頃のように、「夏休みの友」を仕上げたら、後は思い切り遊ぶ ぞ、という気分にはなれない。困ったことだ。もう一度小学校の5年生か6年生の頃に戻れたらなあと思 う。あの「長い夏休み」の体験をもう一度できたらなあ。ロブ・ライナー監督の映画「スタンド・バイ・ミー」 の、鉄橋を歩く少年たちの姿が甦ってくる。

 京都新聞・新刊評(8月13日付)に取り上げた詩集は次の4冊。豊原清明『時間の草』(ふたば工房)/ 苗村吉昭『オーブの河』(編集工房ノア)/佐々木浩『やさしいめまい』(書肆山田)/名古きよえ『名古き よえ詩画集』(編集工房ノア)


2005年8月9日 火曜日

日本一楽な宛名書き
 ワープロを使うようになってから、字がどんどんヘタになってきた。元々上手とは言えない字だったの で、今や悲惨な状態になっている。おまけに機械が自動変換するので、漢字もどんどん忘れてきた。昔は 知っていた字が書けなくて、唖然とすることがある。大学での板書など、毎回冷や汗ものである。複雑な 漢字などは適当にごまかして書く。こういうときは下手な字が役に立つ。ぐちゃぐちゃっとした字だから、線 の1本や2本抜けていても分からない。学生も気付かない(と思っているけれど、実際はどうなんだろう?  下手な上に漢字も知らない先生と、案外思われているのかも)。
 毎日のようにたくさんの詩誌や詩集が届く。それにできるだけ返事を書こうと思うのだけれど、上に書い たような事情で、手書きとなると、書くのが億劫になる。まず、宛名を書かなければならないところから億 劫になる。メールなら、本文を書いて、ボタンを押すだけで済む。しかし、手紙となるとそうはいかない。大 学での板書のような字では相手に失礼に当たる。そう思って、きちんとした字で書こうと思えば思うほど、 長い時間がかかってしまう。
 せめて宛名書きだけでも楽になればなあと思う。この点に関しては、我が家はたぶん日本一楽な宛名 書きの場所だろう。郵便番号が番地まで示しているので、後は号数を書くだけで済む。郵便番号欄に郵 便番号を書き、後は封筒なりハガキの真ん中に、282と書くだけで我が家に届く。ここに引っ越してきた 頃、本当に届くかどうか試してみたことがある。自分の書いた宛名「282」だけのハガキが届いたときに は、ちょっと感動したりした。こんな住所ばかりだと楽でいいと思うけれど、そうなったからといって手紙を 書く気が増すということにはならないだろうな、きっと。宛名より本文の方がはるかに長いので。

 仕事の方は、今日締切の原稿を書き終えてメールで送付。後は当分締切に追われることもない。やっと 本当の夏休み。 


2005年7月29日 金曜日

岡八郎
 岡八郎が亡くなった。といっても、関西圏以外の人にはピンとこないかもしれない。20年ほど前までは 「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれた吉本新喜劇のトップスターだった人である。関西で育った40代以 上の人なら誰でも知っていて、そのギャグの一つや二つはすぐに口について出てくるのではないかと思 う。
 土曜日のお昼になると、テレビから吉本新喜劇の「ホンワカホンワカ〜」という例の音楽が流れてきて、 大人も子供もその一種破天荒な(というかハチャメチャな)舞台中継を楽しんだものだった。岡八郎の繰り 出すギャグは、例えば、ケンカをする相手に向かって、お尻を上げながら、その上げたお尻に自分の手を やり、その手を鼻のところに持っていき、「クッサー」というものや、自慢(?)の奥目でビールの栓をあけ るというような、ちょっと下品でナンセンスなものが多かった。けれど、下品なギャグでも下品に思えなかっ たのは、彼にかわいげがあり、茶目っ気があったからだろう。前回のこの欄で野田秀樹の笑いに文句を 付けたが、野田秀樹が他人の芸の模倣で笑いをとろうとしていたのに対し、岡八郎の芸はあくまで岡八 郎にしかできないオリジナリティの芸だった。
 中年から晩年にかけては悲惨な出来事の連続だった。妻の自殺、アルコール依存症、吉本新喜劇から のリストラ退団=A胃がん、脳挫傷、長男の肝硬変による急死 、再婚した妻との離婚…。
 テレビで、弟子のオール巨人が涙ながらに読む弔辞を聞いていたら、こちらまで涙があふれそうになっ てきた。ぼくは岡八郎が大好きだった。葬儀の日、長女の裕子さんが、亡くなる前の父にふれて、「こんな になってまでまだ舞台に立ちたいの?」と聞いたとき、「お客さんを笑わせたいんや」と言ったという、その 言葉が胸にしみた。名誉欲や金銭欲ではなく、ただひたすらお笑い芸人として在り続けたいという、その ひたむきな生き様に深く感動させられた。




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