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日々のあれこれ

日々のさまざまな思いや出来事を、つれづれなるままに綴っていきます。

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2014年2月28日 金曜日

まどさん、逝去
 テレビを見ていたら、まど・みちおさんが亡くなったというニュースが流れ、びっくり。今朝の9時9分、老 衰で亡くなられたとのこと。104歳だった。
 まどさんとは一度だけお会いしたことがある。20年ほど前(正確には1993年6月31日)、ご自宅近くの喫 茶店でお会いした。人と会うときはいつもここにしてるんですと言っておられた。初夏の陽射しのさす明る い喫茶店だった。逆算すると、まどさんはこの時83歳だったことになる。とてもそのお年とは思えないほど かくしゃくとしてらした。僕が農学部出身だという話でもしたからか、植物の話で盛り上がった。何だかず っと植物の話ばかりしていたような気がする。
 まどさんと出会うきっかけとなったのは、僕のちょっとしたミスからだった。
 ガーネットの3号で「いい詩が読みたいッ!」という特集を組み、その中で僕は他誌に掲載されていたあ る高等盲学校の女生徒の作品を絶賛したのだが、発行後、何人かの人から、それはまど・みちおさんの 作品だという指摘を受けた。驚いて、事の経緯を書いたお詫びの手紙をまどさんに出した。それに対し、 まどさんから、「こういうことはもうしょっちゅうあって、老人の私はその子からラブレターを貰ったみたいに 喜んでいるのです」との鄭重なご返事があった。なんと心の広い方なんだろうと感激し、それからまどさん との交流が始まった。
 この件に関しては、僕のミスではあるのだが、自分が作者の名前などではなく、純粋に作品だけを見て その評価をしているということが証明されたようで、今でも少しばかり誇らしく思っている。
 まどさんが100歳になられたときには各地でさまざまなイベントが催された。その中で僕もお祝いの色紙 を書かせてもらったりした。
 一度だけしかお会いする機会がなかったが、お便りや本をたくさんいただいた。素晴らしい詩人と出会 えてよかった。盲学校の女生徒に感謝しなければ。


      くまさん
              まど・みちお

はるが きて
めが さめて
くまさん ぼんやり かんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええと ぼくは だれだっけ
だれだっけ

はるが きて
めが さめて
くまさん ぼんやり かわに きた
みずに うつった いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな


2014年2月27日 木曜日

ガーネット、編集完了
 ガーネット次号(72号)の編集が完了し、先ほど印刷所に送りました。3月6日には仕上がってくる予定 です。
 風邪やインフルエンザで寝込んでいたのが響いて、予定より1週間近く発行が遅れてしまいました。読 者の皆様には申し訳ありません。もうしばらくお待ちください。

 この後、今月末締め切りの詩がひとつあります。今月末と言っても明日までなので、どう考えても無理 な状況です。心優しい編集長に待ってもらうより他にありません。
 さらにびーぐる次号の締め切りも来月中旬に迫っています。この間に確定申告を書いたり、5月にある 講演の資料作りなどもしなければなりません。まだ当分忙しい日々が続きそうです。


2014年2月21日 金曜日

「天然生活」、発売
 去年の暮れにインタビューを受けた女性誌が昨日発売されました。雑誌の名前は「天然生活」。ホッピ ーやコッコの写真も載っています。うしろの方のモノクロページ(104ページ)なので分かりにくいかもしれ ませんが、書店で見かけたら覗いてみてください。

 目下、ガーネットの編集に全力を注いでいます。後3、4日で何とか仕上げることができればと思ってい ます。
 インフルエンザの方は平熱に戻りましたが、まだ咳が続いています。こちらも完治までにはあと数日か かりそうです。
 もうすぐ3月。早く春よ来い、という気分です。


2014年2月17日 月曜日

ほぼ回復しました
 40度近い高熱が2日間続いた後の3日目の朝(土)、熱は37度前後まで一気に下がりました。これなら もう病院に行くこともないかとも思いましたが、道の雪も解けていたので、近くの個人病院まで行きまし た。検査をすると、やはりインフルエンザのA型。
 インフルエンザの特効薬であるタミフルと咳止めなどの薬を処方されました。タミフルは発熱から2日以 内(高熱が続いている間)でないと効果がないと聞いていたので、医師にそう尋ねると、ぶり返したり悪化 するのを防ぐ効果があると言われ、そんなものかと医師の処方に従うことにしました(薬はあまり飲みたく ない方なので)。
 高熱から5日目の今朝の体温は36.7度。ほぼ平熱近くまで下がりました。まだ咳と痰が止まらずにいま すが、これさえ治れば完全快復。あと2日ほどで完治するのではないかと見込んでいます。
 お見舞いのメールをくださった方々、ありがとうございました。

 一昨日の夜から仕事を再開しました。ガーネットの原稿と編集。今週中に全て終えるつもりだったので すが、ちょっと無理な状況になりました。発行は少し遅れることになりそうです。
 フォトポエム詩集『千鶴さんの脚』は校了しました。来月中旬には発行されそうです。
 空とぶキリン社の詩集の方は、明日、印刷所で最終の打ち合わせ予定。こちらも来月下旬には発行で きそうです。どちらもお楽しみに!


2014年2月14日 金曜日

高熱と大雪
 一昨日ぐらいから咳が出始め、最初はタバコの吸いすぎかなあと思っていたのですが、その夜から寒 気がし始めました。これはまた風邪を引いたのかも、と思いつつ、1日が過ぎた昨日は最悪の状態。夜 に妻の勧めで体温を測ると、何と39.7度! こんな高熱、たぶん今まで出たことがないと思います。
 これは風邪やなくてインフルエンザやわと妻が言うので、今日、病院へ行く予定にしていたのですが、 何と外は大雪! 先週、東京へ行ったときと同じくらい積もっています。これでは車が出せません。救急 車を呼ぼうか、と妻は真剣な顔で言うのですが、そんなオーバーな。第一、救急車は病院まで運んでくれ ても、また家まで送ってくれへんで、と言うと納得し、救急車を呼ぶ案は消えました。
 家で暖かくして寝ているよりほかになさそうです。
 今朝、体温を測ったら、39.9度。一夜明けてもまだ下がらず、かなり苦しい状態です。こんな日記を書い てる場合ではないと思うのですが。
 やらなければならないことがいっぱいあるのに、熱が下がるまで中断しそうです。
 昨日は、高熱の中、ガーネットの校正を作り、同人に送りました。
 最低限の仕事を何とか果たしたという感じです。


2014年2月10日 月曜日

無事に帰ってきました
 柳波賞授賞式から無事に帰ってきました。
 8日(土)は東京に着くまで大変でした。中でも一番大変だったのが最寄り駅に着くまで。この雪では車 で駅まで行くのは無理だと判断し、タクシーを呼んだのですが、そちらまでは行けませんと断られてしまい ました。何しろ山の上なので、タクシーでさえ恐れをなしたようです。そこで仕方なく下の国道のバス停ま で歩いていくことに。
 まだ雪の降り続いている中、長靴を履きカッパを着て、降り積もった雪の中を出発しました。バス停まで 歩くこと40分ほど。途中で先発させておいた妻に追いつき、予定ではバス停で長靴やカッパを脱いで、妻 に持って帰ってもらうつもりでいたのですが、バス停に着く直前にバスが着て、あわてて二人でバスに乗 り込みました。バスの中で長靴やカッパを脱いでようやく安堵。妻は帰り道、2度ほどこけて、家に帰り着 くまで大変だったようです。
 こちらはその後、まあまあ順調でした。新大阪からタバコの吸えるひかりの指定を取っていたのです が、1時間ほどの遅れが出ているとのことなので、ホームに停車中ののぞみに飛び込みました。
 東京に着くと、横殴りの吹雪にびっくり。山手線は動いていたので、何とか予約していた神田のホテル まで辿り着くことができました。その後、吹雪をついてやってきたEさんと近くの居酒屋に行きました。もう 一人、神田近くに住んでいるIさんにも声をかけようとしたのですが、こちらはうまく連絡が取れずに断念。 二人で3時間ほど飲み、Eさんは吹雪の中を帰っていきました。最寄り駅の近くまで地下鉄だったので、 無事に家まで帰れたようです。
 ホテルに帰ってもまだ外は吹雪。明日の授賞式、会場まで行けるだろうかと心配しながら眠りにつきま した。翌朝は雪も止み、上越新幹線もほぼ定刻通り動いていたので、予定通り会場に着くことができまし た。新幹線に乗っているうちに空は晴れてきて、窓外の風景は、青空にいちめんの雪が映えて、一幅の 絵でも見ているようでした。ブリューゲルの「雪中の狩人」がふっと頭に浮かんできたりもしました。
 いろいろと大変だった2日間ですが、何はともあれ授賞式を無事に終えることができました。
 Eさんと飲んでいるとき、「高階さんが東京に来るとき、いつも大変なことが起こりますね」と笑いながら 言うので、何のことかと思ったら、去年の池田順子さんの日本詩人クラブ新人賞授賞式のときのことでし た。あの日も出かける朝に大きな地震が起こり、在来線は全面ストップ。大変な思いをして東京まで行っ たことを思い出しました。「天才は天災を呼ぶのかなあ」とこちらも笑いながら答えましたが、そのときは 外がまだ猛吹雪であることを忘れて飲んでいたのでした。


2014年2月8日 土曜日

豪雪
 朝起きたら外はいちめんまっ白。天気予報通り、豪雪になりました。庭の積雪を調べたら16センチ。こ こに住み始めてからのタイ記録。まだ降り続いているので記録更新になりそうです。
 どこへも行かなければ雪もいいなあとのんびり構えていられるのですが、今日は東京まで行かなけれ ばなりません。無事に行けるかどうか。その前に最寄り駅まで行けるかどうか。うーん、困った。
 東京での今夜の飲み会も中止にしました。残念。

窓からの風景 家の前の道路 積雪16センチ


2014年2月7日 金曜日

芸術と虚飾
 このところ3つぐらいの仕事を同時並行的にやっています。空とぶキリン社の詩集制作とフォトポエム 詩集のレイアウト、そしてガーネットの原稿。さらに近づいてきた柳波賞授賞式のための準備など。
 空とぶキリン社の詩集は本文レイアウトはできたものの、表紙絵の作者と絵の調整をしたり、帯文を作 ったり。フォトポエム詩集の方もレイアウトの最終の詰めを編集者としているのですが、こちらも思ったよ り時間がかかっています。そんなわけで、ガーネットの編集になかなかかかれないでいます。時間的にか なり苦しくなってきましたが、何とか乗り切るより仕方がありません。

 昨日は、全聾の作曲家として脚光を浴びていた佐村河内守氏のニュースをテレビに釘付けになって見 ていました。ゴーストライターをしていたという人の記者会見は衝撃の内容でした。作曲をしていなかった だけでなく、全聾も嘘だったとは。NHKのドキュメンタリーを見て、すごい人だなあと思っていただけに、か なりの衝撃でした。
 曲のイメージを図や言葉で指示する紙を渡して作曲を依頼していたと言い、それも共同作業(共同作 者)と言えるとコメントしていた人もいましたが、そうでしょうか。それが通るなら、空とぶキリン社の表紙 絵や扉絵を、毎回こんなふうにしてほしいと作者に言い、時には下絵まで書いて渡している僕もその絵の 著作者のひとりということになってしまいます。
 昨日の朝日新聞「天声人語」に、今回の事態を受けて、「感動話に何かと弱いメディアの習性を自戒し たい」と書かれていました。「自戒したい」といくら書いても、メディアのこの習性はたぶんなくならないでし ょう。芸術の本質ではなく、珍しさや話題性ばかりを追いかける。全聾の作曲家、99歳の詩人、原発事故 で被災しながらツイッターで詩作…等。読む方、見る方もそんな話が好きだから、書く方もそうした話を追 いかける。このイタチごっこはいくら自戒してもなくならないように思えます。
 もうずいぶん前のことですが、雪の中で著名な詩人が朗読する姿を新聞が報じていました。今回の佐 村河内守氏のニュースを見ながら、ふっとそのことが頭に浮かんできました。


2014年2月2日 日曜日

フォトポエム詩集とひよこの詩
 なかなかうまく書けないでいたフォトポエム詩集のあとがきを何とか書き上げました。その後、編集者か ら届いていたレイアウト案にこちらの意見も入れて返送。これでやっと自分の手を離れて進み出すことに なりました。発行は4月の初め頃になるかと思います。
 1月末締め切りの詩は3日前に送りました。今回の詩はひよこの詩。今までたくさん動物の出てくる詩 を書いてきましたが、ひよこは初めて。かわいくて、ちょっと悲しい詩になりました。
 この後はガーネットの編集に全力で取り組むつもりです。まだ届いていない原稿もありますが、時間的 には十分余裕があるので大丈夫。こちらは3月1日の発行予定です。


2014年1月28日 火曜日

2つの書評−『早く家へ帰りたい』
 昨日、中日新聞・東京新聞のコラムに『早く家へ帰りたい』が紹介されたことを書きました。それを出版 元(夏葉社)の島田さんにお知らせしたところ、「オール読み物」の今月号(2月号)にも書評が出ています よ、とそのページの画像を送ってくださいました。執筆は歌人の山田航(わたる)さん。2年前にも北海道 新聞のインタビュー記事でこの本を紹介してくださっています。
 「出入り口」という同人誌の最新号(23号)でも中西邦春さんがこの本の書評を書いてくださっています。
 どちらの書評にも『早く家へ帰りたい』と出会ったときの思いが綴られています。そのときの情景が浮か んでくるような真摯な文章で、読みながら何だか熱いものがこみ上げてきました。『早く家へ帰りたい』は もう自分の手を離れ、読み手それぞれの心の家に向かって歩き続けているような気がします。
 2つの書評を転載しましたので、御一読いただければ幸いです。




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